いろは会商店街振興組合の沿革

いろは会商店街振興組合は区の東北に位置し日本堤1丁目(旧田中町)のほぼ中央を東西に走る幅8メートル、延長370メートルの通りです。

その昔、陸羽街道から吉原土手へ抜ける小道の一部に夜店の出店が許されました。現在のいろは会通りの起こりです。

大正8年頃に商店会ができ連合大売り出しが始められ、この名を「ありがとう会」といいました。呉服店主の会長が大黒頭巾をかぶり、赤い羽織を着て金棒を引き「まいどありがとうございます」と毎晩夜店通りをねり歩き人気を呼びました。同11年いよいよ通りの全店が結束して「いろは会」をつくりました。関東大震災で大きな被害を受けましたが不死鳥の如く立ち上がり、特に通りの中央に寄席【吉祥亭】ができてからは遠近からのお客様で賑わいました。

昭和12年政府の商店街育成に従い、いろは会通り商店街商業組合と改めましたが、同20年3月の空襲で焼野原と化しました。戦後の同25年に再発足し活動開始。同38年、区内2番目の振興組合に改組し初代理事長に磯貝建蔵氏が就任。二代目の中村広二氏、三代目に三輪隆氏、四代目が桜井照久氏と続きました。

昭和51年4月念願のアーケードが完成。一般からの応募で「ショップメイト」と新たな愛称も決まり、近代的なアーケードはいろは会の長い歴史に画期的な一頁を加えました。また同年11月にはカラー舗装も完成し〝華麗な商店街”の誕生は当時「いろは会」の名を区の内外に強くアピールしました。